私の摂食障害からの回復の体験談(原因、症状と経緯、ホリスティック栄養学)

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今回の内容は、こちらの動画でも解説しています。

https://youtu.be/iT7IfrbzJaw

私が管理栄養士を目指すきっかけにもなった摂食障害の経験

今日は私が摂食障害の時の体験談、そこから回復した経緯をお伝えします。

ここでお伝えすることは、あくまで私の体験談であって、摂食障害からの回復も、私が経験したことが全ての人に当てはまるわけではないことを先にご理解いただければ幸いです。

今は、管理栄養士・ホリスティックヘルスコーチとして、健康や幸せを広げる仕事をしたい方のサポートもしている私ですが、この仕事をするきっかけの大きな一つとなった出来事が、10代の頃に経験した摂食障害でした。

私のプロフィール をみていただいた方はご存知かと思いますが、私が管理栄養士を目指すきっかけとなったのは、14歳の頃の摂食障害でした。

私はこの、摂食障害をきっかけに、14歳の頃から栄養学を独学で学び、
管理栄養士を目指すようになりました。

余談ですが、この摂食障害を経験する前は、私は実は、ファッションデザイナーになりたいと思っていたんです(笑)。

摂食障害という経験をしなかったら、私は全く別の人生を歩んでいたことでしょう。

私の摂食障害の原因とは?

大昔の話で、記憶も乏しいので、最大の原因は特定はできませんが、私が摂食障害になった原因は複数あり、覚えている記憶の範囲内では、下記の3つがそのうちの主な原因ではないかと思っています。

1.思春期(第二次性徴期)の体の変化により、ふっくらした体型を気にしたことから

2.恋愛の悩みから

3.周りから見られているという、大きなプレッシャーから

これらの原因ひとつひとつをさらに深く考えてみると、さらにまたそれらの原因が見えてきます。

1.思春期(第二次性徴期)の体の変化により、ふっくらした体型を気にしたことから

私はもともと小さい頃からどちらかというと痩せ型でした。摂食障害を経験したこの時期は、思春期に必ず起こる、女性らしい丸みを帯びた体型になり始めた時で、この自然現象で以前よりは少しふっくらしたという程度で、別に太っていたわけではありませんでした。

同時期、成長期なので当然食欲も旺盛。なぜかホットケーキにはまっていた時期があり、おやつにホットケーキを作ってたくさん食べていたのを覚えています。

また、お菓子作りに興味があったのもこの頃。自分で色々とお菓子作りをしては、食べていたことも記憶しています。

それまでよりちょっとふっくらした程度だったのですが、私の中にあるボディイメージは、思春期でセンシティブという時期だったこともあり、ものすごく太ったと感じていたのです。

また、その頃母親が私に、ちょっとぽっちゃりしたんじゃない?と言われたことがありました。
母親にとっては何気ない一言ですが、それが私には深く傷つき、そこから痩せたいと思うようにもなっていました。

思春期で傷つきやすい時期、そして母親にも少し反抗していた時に言われたのは自分の中では大きなショックでした。

もし、その一言を、年と経験を重ねた今、言われても気にはならないでしょうけどね。その時期はきつかったですね〜。

2.恋愛の悩みから

実は摂食障害になる少し前から、私は一つ年上の、当時、学校一の不良と交際をしていました(笑)。

交際がスタートしたのは中学2年の冬頃。

彼はひとつ上だったので、先に卒業し、その後も学校にちょくちょく遊びに来てたのですが、ある日、私と同い年の女の子を学校に連れてきたんですね。

学校中のみんなが私と彼が付き合っていたのは知ってましたし、私もみんなも驚きました。

もちろん今は彼に対して全く恋愛感情もないし、全然時効なのですが、その時のあのショッキングな感覚というのは、あの年齢ではやっぱりきつかったですよね。

その日以来、彼に対しての熱は一気に冷め、彼とは全く会わなくなったのですが、バカにされたような、軽い扱いをされた怒りなどもあり、摂食障害に走っていったような気がします。

3.周りから見られているという、大きなプレッシャーから

14歳の頃の私は思春期で、ちょっと反抗期。ちょっと荒れてるくらいがカッコいいくらいの時期と勘違いしている時だったので、不良の彼とつるんでタバコを吸ってみたり、無免許で彼が運転するバイクの後ろに乗ってみたり、そんなこともしていました。(人にこの話をすると信じられないと言われます 笑)

しかも、さらに信じられないことに(笑)、私はちょうどその時、生徒会長を務めていたんですね。
今思うと、よくこんな状態で生徒会長などやっていたものだと思いますが・・・。
田舎の学校だったので、全校生徒はもちろん、保護者の人にも私は顔を知られていました。

ある日、コンビニの裏で複数の友人・先輩とともにタバコを吸っていた私の姿を見た保護者の誰かが学校に通報。校長室に両親が呼ばれたこともありました。(あー、今思うとなんて恥ずかしい)

彼と付き合う前に自分で立候補した生徒会長でしたが、だんだん周りから見られているという大きなプレッシャーと、なぜかそれと同時に、矛盾しているのに、悲観的な自分を表現したいという思いもありました。自分の中で思春期ドラマを作っていたのかもしれません。

他にも原因はいくつもあったと思いますが、これらの原因が、私を摂食障害に走らせたのだと思います。

自分がそうなりたいのではなく、他人から見てもらいたい自分

色々な原因がありましたが、一つ言えることが、これらはすべて、自分がそうなりたいと強く願ったものではなく、他人から見てもらいたい自分だったということです。

少し分かりにくいかもしれませんが、例えば体重を減らしたいと思った理由が、自分の健康のため、ではなく、矛盾しているように感じますが、周りに反抗している気持ちと、構ってもらいたい気持ち、両方があったように思います。

つまり、周りを気にしてなければ摂食障害は起こらなかったはずではと思うのです。

だけど、今、年を重ねた私が、当時の自分の味方をするのであれば、
当時は周りを気にしてしまう年齢であったこと、周りを気にしなければならない状況であったこと、
甘えているようではありますが、自分軸で生きるということを知らなかった当時の自分を抱きしめてあげたい気持ちですね。

世間一般の「思い込み」のボディイメージ

もう少し、掘り下げてみると、

痩せているイメージ=悲観的なイメージ

太っているイメージ=ちょっとみっともないイメージ

注目される人のイメージ=太ってなく、スタイルのいいイメージ

という、世間一般にも考えられている、それ自体が「思い込み」かもしれませんが、このような当時の私が思っていたボディイメージがなければ、痩せようとは思わなかったでしょう。

摂食障害に陥った人には分かるかもしれませんが、摂食障害に陥る人は、最初はちょっと痩せるだけのつもり、つまり、スタイルがよくなりたい、くらいのつもりが、だんだんエスカレートし、体重が少しでも増えるのを嫌い、十分痩せているのにさらに痩せたいという願望に駆られてしまうということが起こります。

私の場合は、一番最初の、痩せているイメージ=悲観的なイメージも、周りから注目されたい、同情されたいということから起こったことでした。

もし、世間一般のボディイメージが、太っているほうが素敵、というイメージであれば、痩せることを願う摂食障害はもしかしたら起こっていなかったかもしれませんね。

自分との関係がもたらす周りとの関係も影響

また、いくら痩せているほうがいいというイメージがあっても、自分は痩せていなくても十分に素敵、という自分で自分に愛の自給自足ができるような考えがある、つまり、自分との関係も良ければ、このような痩せ願望は生まれないはずです。

さらに、自分との関係だけでなく、そこから派生する周りの人との人間関係も健全で、その人たちからも、自分はそのままで素敵!と言われていれば、自分のボディイメージを変えようとする必要もなく、痩せようとしないはずです。

そもそも、自分との関係がよく、自分で自分に愛の自給自足ができる状態なら、周りに何を言われようが、どうも思わないというのは、今は分かるのですけどね。当時の自分には、それが分からず、周りからの言葉を信じてしまっていました。

摂食障害を発症する原因は多岐にわたり、どれが一番の原因と特定することはできませんが、基本的には、自分との関係がもたらす周りとの関係も影響、一番大切な元となるのは、自分との関係だと私は感じています。

摂食障害の頃の私の症状、状況

摂食障害の症状や状況も人によって様々ですが、ほとんどの場合、共通しているのが、体重が少しでも増えることを恐れる点です。

私は、体重を減らそうとした時、まずは糖質と脂質の量を極端に減らしました。

その頃、私には栄養の知識などほとんどなかった時です。

ご飯と油は太る、という思い込みでご飯は一食分でゴルフボールくらいの量、野菜はとても多く食べていましたが、脂肪分の多いベーコンがスープに入っていた時に母親にこんなの食べられないと文句を言い、父親にこっぴどく叱られたのを覚えています。時代は90年代、父と言い合いになり、父は私の顔をひっぱたき、当時かけていた私のメガネが吹っ飛んだのを覚えています。今となっては笑い話ですが。

炭水化物・脂質を極端に減らしたことで便秘に

当然、必須栄養素であり、エネルギーとなる炭水化物も油も極力摂らないわけだから力も出ないわけで、疲れやすく、さらに押し出す力がないせいと、そもそも便になるほどの量を食べていないせいもあってか、便秘にもなりました。

便秘の原因は今思うと明らかに食事なのに、当時は野菜をこんなに食べているのだから、原因は食事ではないと思い込み、運動が足りないのよと、思い込み、せっせと運動をしたり、またもっと野菜を増やしたり、ひどすぎる時にはたまに下剤を使うこともありました。

今はもう当然のように分かる快便のポイント、便を作ることと押し出すため、代謝を上げるためにも炭水化物・脂質は必須、その上で食物繊維豊富の野菜も含め、栄養をバランスよく摂ることで便を作ること、体液や血液循環もよくすること、腸を健康にすることなのに、この時は知識がなく、分からなかったんですよね。

極端な食事はさらにエスカレート、家族にも影響・・・

この食生活は次第にエスカレートし、油の入ったドレッシングも使わず、野菜を食べる時はお酢だけをかけて食べたり、油の多い炒めものを洗って食べたり。

力がないはずなのに、もっと痩せようと、早朝ジョギング3km毎日したり、夕方帰宅してから犬を連れてまた3kmくらい歩いたり。

夜遅く食べると太ると思って、学校が終わると一目散に家に帰り、自分で家族の分まで夕食を作っていました。自分で家族の分まで夕食を作っていた理由は、母が作ると油の量とか自分で把握できないのが怖かったんですよね。自分で食事はコントロールしたいがために、自分で食事を家族の分まで作っていました。そして作ったら一人でさっさと夕食を済ませる、という毎日でした。

家族も私の油抜きの質素な料理で、もしかしたら当時は強制的に痩せていたかもしれません(苦笑)。

この頃は、家族みんなで食事をするというのもあまりなかったように思います。

体重の急激な減少と生理が止まる

こんな生活をしていたものだから、当然ながら、私の体重は落ち、気づいたら、中学3年の夏の間に、6キロも減少していました。

42キロだった体重が35キロまで落ち、さらにそこからも落とそうとしていました。

夏休み明けの身体測定で、当時、家庭科の先生だった女性の先生が体重測定を担当し、その時に
「痩せすぎよ」
と心配していたのを覚えています。

その頃から生理も止まってしまいました。

結局、生理に関しては、止まってからその後、高校に入って婦人科で治療を始めました。
高校3年間、毎月人工的に生理を起こすホルモン注射をしていました。

自然に生理が始まったのは、大学に入ってから。この点に関しては、後述します。

独学で栄養学を学び始める

生理が止まった頃くらいから、だんだん自分でもこれではいけないと気づきはじめ、栄養学に興味を持つようになりました。

当時、地域の食生活改善推進委員会に入っていた母親が持っていた食品成分表や日本人の栄養所要量(現在は、栄養所要量ではなく、食事摂取基準になっていますね)の本などを読むようになりました。

14歳、中学校3年の秋ごろからだったと思います。

そこで、バランスの良い食事をして、健康的に、心も改めようと思い始め、そのころから管理栄養士を目指そうと思いました。

健康に、心も改めようと自ら感じられるようになったきっかけ

その頃、なぜ私が健康に、心も改めようと思ったかというと、

1. その時の担任の先生(美術の先生)が、私をいつも信じてくれていたこと、私が描く絵をいつも褒めてくれたこと。

2. 今まで反抗していた両親は、実は私のことをいつも思ってくれていて、見捨てずにいてくれたことに気づいたこと。

3. 付き合っていた彼と会わなくなってから時間も経ち、人から影響される自分ではなく、本当の自分を冷静に見れるようになったこと。

このような理由からだと思います。ここでも、自分との関係から派生する、人間関係までの変化も大きいです。

そして、これまでは、周りに認められていないと思っていた自分がいた前提で、認められたいと思っていたのが、最初から周りは自分のことを見捨てずに認められていたということに気づいたこと、これも大きかったのではと思います。

なーんだ、心配しなくても自分って大丈夫だった、的な感じですね。

また、中学3年でしたので、受験もあり、真面目に勉強もするようになって、自分自身も自発的に、そして劇的に良い方向に変わっていくことができました。

不良時代も過ごしたのに、なんと先生方のサポートで、高校には推薦入試で入ることができ、中学を卒業するころには反抗も収まっていました。

ずっと私を支えてくれた両親、先生、その他友人のおかげです。

周りのサポートというのがいかに大切か、今でもそれは本当に感じます。

体を健康に戻すには、時間がかかる

そこから体重も少しずつ増えるようにはなりましたが、高校に入っても、止まっていた生理は戻らず、婦人科で月に一度、ホルモン注射を受け、生理を人工的に起こさせるということを高校3年間、強いられました。

そして、人工的に起こしていた生理はなんと、地元の鹿児島を離れて福岡の大学に入ってすぐのころ、ホルモン注射をせずに自然に再開したのです。(これはまた後述します)

さらに、急激に痩せたことが原因の、徐脈と低体温。

高校一年の時に学校で受けた心臓検査ではなんと脈拍数、一分当たり30拍台。

低体温もひどく、特に冬は寒さで寝る時はスキースーツを着て寝ていたほど。
スキースーツで寝ていた時は、寒さだけでなく、まだこの時は「汗を少しでもかいたら痩せるかも・・・」という思いも少し残っていました。

一度崩れた健康、元に戻すのは、あんなに若い、10代の頃でも、とても時間がかかりました。

でも、健康になろうと、私は比較的早い段階で思うことができてよかったと思います。

もし、あのままエスカレートしていたら、、、今私はここにいなかった可能性もあります。

そう考えると、本当に、見捨てずにずっと見守ってくれた周りのサポートに改めて感謝です。

健康になろうと決めても、すぐに摂食障害が治ったわけではなかった(拒食→過食も)

さて、中学3年の冬あたりから、健康になろうと決めてだんだん食事もバランスの良い食事に変え、ご飯の量も増やしたりし始めたのですが、そこですぐに摂食障害が治ったわけではありませんでした。

拒食から始まり、次は過食が襲ってきたのです。

この過食に関しては、毎日ではないですが、大学2年のはじめくらいまで続きました。

食パン一斤一人で全部食べたり、食事に行ってもかなりの量を食べたり。

でも、吐く行為はなく、精神的にも不安定なことは特にないと感じていたので、その頃の過食は、食欲旺盛、ということで片づけられる程度の過食だったかもしれません。

ただ、過食をする食べ物は決まって炭水化物でした。

ケーキやお菓子などの甘いものは過食することはあまりありませんでしたが、ご飯やパンの過食が多かったですね。

過食症では、脳内で食欲と満腹中枢の働きがうまく機能しなくなり、胃が満タンな状態でも食べ続けてしまいます。

また、嘔吐を繰り返してしまう人に関しては、肝臓機能が低下したり、食道炎にかかったり、胃酸で歯が溶けてしまったり、顔のむくみや歪み、胃の損傷などの症状も出てしまうことがあります。

運よく、私は嘔吐までいかず、これらの症状は一切出ませんでしたが、完全に摂食障害から抜け出すことができたのは、大学2年の夏くらいだったと思います。

生理が自然に戻り、摂食障害もなくなった時の私

前述しましたが、生理が自然に戻ったのは、大学に入ってすぐの頃。

実は、高校3年間での治療でも、すぐには自然に生理が戻らなかったため、高校の時に通っていた鹿児島の婦人科の医師に、福岡での大学生活開始に向け、福岡でも治療を継続するために、大学のすぐ近くの婦人科への紹介状を書いてもらっていました。

そして、大学入学後、すぐに婦人科に継続していく予定で診察を受ける予定だった予約日の直前に、
なんとホルモン注射なしで、生理が始まったのです!

これには自分でもとても驚きました。

自然に生理が来た理由として今考えられることは、もちろん体重もその頃だいぶ戻っていたことや、続けていた栄養改善も良かったのかもしれませんし、あとは親元を離れて大学に入り、自立した、自由になったと感じていて、心のブレーキも外れたことも大きかったのではと思っています。

良い意味で、細胞も自立していったのかもしれないですね。

また、拒食、過食があった摂食障害が、完全になくなっていったのが、大学3年くらいだったと記憶しています。

食べたいものを何も気にせず食べられるようになり、食べることに執着しなくなり、お腹が空いてないときは食べなくてもいいという、本来の人間の食欲に落ち着くことができました。

それはその頃、大学で学びたかった栄養学も学び、完璧ではなくとも実践していたこと、人間関係もうまくいっており、自分のやりたいことも楽しんでいて、精神的にも充実していたためだったのではないかと思います。

摂食障害の原因は、ホリスティック栄養学でいうプライマリーフード(第一の食べ物)の欠如

私自身も含めですが、摂食障害の原因は、ホリスティック栄養学でいう、プライマリーフード(第一の食べ物)の欠如が大きいです。

プライマリーフード(第一の食べ物)とは、ホリスティック栄養学の中では、口から食べる食べ物以外の、健康や幸せに関する背景(環境、人間関係、ストレス、愛情、運動、創造性、精神的なこと、などなど)となるものです。

プライマリーフード(第一の食べ物)やホリスティック栄養学に関しての詳しい説明はこちらにも記載しています。

そして、プライマリーフード(第一の食べ物)の欠如で特に大きいのは、愛情の欠如。

私の場合、両親からの愛情が欠如していたわけではなかったのですが、自分が反抗をしていたことから、自分で勝手に崩していた愛情の欠如があり、さらに、当時は彼からの愛情の欠如を感じたのも原因の一つだったと思います。

昔、カーペンターズのカレン・カーペンターが拒食症で亡くなった時、担当医師が彼女の母親に、娘のカレンを抱きしめてあげなさいとアドバイスしたそうです。

しかし、お母さんがカレンを抱きしめてあげた時はもう遅かったとか。

真相は誰にも分からないことですがが、幼いころから母親からの愛情を感じていなかったことが彼女の拒食症の原因の一つとも考えられているそうです。

愛情がいかに人の命にとっても大切か、考えさせられます。

また、そのほかにも、自信喪失や、軽いダイエットのつもりが、エスカレートして心のバランスまでも崩してしまった、という場合もあります。これも、精神的な面の、プライマリーフードの欠如ですね。

今、摂食障害を抱えているひとへ

私が摂食障害を克服したのは、自分のことを大切にし始め、心も体も健康に気遣い始めたこと、あるがままの自分を認め、もっと自由になってもいい、もっと自分は楽しんでいい、こういうことに自分で自分が許可を出せたことが大きかったと思います。

もちろんこれは、短時間でできたわけではありませんでした。

時間はかかり、たくさんの経験をし、その中で少しずつできるようになっていったものです。

一番大事だと思ったのは、自分への愛は他の人からもらうとか期待するのではなく、自分で自分の愛の自給自足ができるようになること。

自分で自分の愛の自給自足をするということは、ありのまま、こんな自分ダメだなーなんて思う部分も含め、そんな自分もいいと自分自身で認めてあげること。

自分の中に、小さな子どもの自分がいて、その子供を自分自身で抱きしめて、守ってあげる感覚ですね。

ダメな自分もOK、摂食障害で悩む自分もいていいじゃない、イライラしてしまう自分もいていいじゃない、完璧になろうと思っている自分もいていいじゃない、他の人から認めてもらおうと思っている自分がいてもいいじゃない、そんな、全ての自分を自分で認めてあげる。

もし、他の人が何か自分に嫌なことを言ってきたとしても、自分の外側には、硬い殻があって、いくら叩かれたりしてもその硬い殻が自分を守ってくれる、そしてまた、自分で自分を取り戻すことができる。つまり、自分で自分の愛の自給自足をすることができるのです。

こういうふうに思えるようになるまで、時間がかかるかもしれませんが、少しずつでも、自分を大切にできるように、自分を愛おしく思えるようになると、少しずつ、摂食障害も消えていくかもしれません。

そして、苦しい時は、他の人に助けを求めていいんだよ、苦しいって言って分かってくれる人が見つかるまで、色んな人に話してみてもいいんだよと自分に伝えてあげるといいかもしれません。

辛い時は辛くていい。そんな自分も、大切にしてあげよう。

摂食障害の人に対し周りの人が協力できることはあるのか?

摂食障害は、ときに命に関わるほどの危険があることもあります。

本人が気づき、自分を大切にしていくことが一番ではあるのですが、なかなかそうできない場合など周りの人も心配にもなりますよね。

ただ、その摂食障害を周りの人がやめさせる方が良いのかどうか?

その答えは、とても難しいのですが、もちろん、症状がかなり重い状態であれば、危険なので、医師などの専門家の助けが必要です。そして、それと同時に、すぐにやめさせるというより、認めて、見守ることはとても大切です。

摂食障害の裏には必ず精神的な問題が潜んでおり、当事者にとっては、死にたいと思うほどの精神的苦痛がある場合もあります。

特に過食嘔吐の症状は、死にたい気持ちを少しでも和らげるために、その症状で苦しんでいる人にとっては、なくてはならない行為だったりもするのです。

だから周りの人が無理にすぐにやめさせることも危険です。

家族が周りにいる人が、摂食障害で苦しんでいる人を認めてあげること、いつも側にいて精神的に安心できる環境を整えてあげること、愛情を示してあげることが大切です。

少しずつ摂食障害をなくしていくために周りの人が協力してあげられること

これは、私自身、摂食障害を克服していく中で、とても大きなサポートとなったものです。

  1. 学校、仕事、人間関係でのストレスを取り除くため、休ませる
  2. 食事や体重のことには触れず、ゆっくり治すことを認めてあげる
  3. 甘えたがる時は受け止め、愛情を持って接する
  4. ほっとできる環境を作る
  5. できないことを責めたりせず、認めてあげる
  6. 本音で優しく話し合い、信頼関係を築く

人は一人ひとり違うというバイオ個性があるため(*バイオ個性に関しても、上記のホリスティック栄養学の詳細リンクに載せています)全ての摂食障害の人に、上記のことが絶対に当てはまるわけではないかもしれませんが、もし、あなたの近くに摂食障害の人がいたら、少しでも参考になればと思います。

最後に。ホリスティック栄養学も食への執着を消してくれた

私は、ホリスティック栄養学を学んだことでも、さらに食に対して自然に、自分が欲する時、必要な時に、食べることを楽しみながら、心にも体にとっても健康的な食事ができるようになりました。

日本の大学で学んだ食の栄養学だけでなく、食以外の心の栄養学も学んだことで、ホリスティック(総合的)に幅広い視点で毎日を過ごせるようになり、毎日が本当に充実して、心も体も自分で整えていけるようになったことが大きいですね。

摂食障害のときにあった、食への変な執着も全くなくなりました。

ホリスティック栄養学は私の人生を大きく変えました。

摂食障害で悩んでいる人も、時間をかけてでもいいと思います。少しずつでも、あなた自身に向き合い、あなたのことを大切にし、心と体を整えていきましょう。

誰にも相談できない、という方は、遠慮なく私にメッセージください。

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